支援員だった頃①
障害者支援員・看護補助員になって約2年。
支援員の頃は右も左もわからぬまま、先輩に言われた通りのことをする毎日。
支援員になる前は全く違う業種で仕事をしていた。
どれも数字と言われるものに追いかけられ、ストレスばかりを増やす毎日であった。
心から望んでいた仕事ではなかった。
それでも人のために何かをしたかった。売上や利益なんてものを気にしないで。
保険の仕事をしていた頃、とある福祉施設が担当リストの中にあった。
話なんて聞いてくれないだろうと思いながらもその施設に行った。
そこでは、楽しそうにお年寄り達が外で玉突きをして遊んでいた。
心が汚れてしまった僕には、これで給与もらえるなんて凄く羨ましかった。
施設の職員と保険の話を終えて、そんな光景を見ていたら職員に言われた。
「なぜ、保険のお仕事をされているのですか」...
笑ってごまかした。僕もわからない。
これから先は別の機会にお話しをします。
なんだかんだで僕も医療・福祉業界で働くことを決意して支援員となった。
まず、学んだことは三大介助を学んだ
排泄介助、入浴介助、食事介助
初めは、どれも苦手で嫌だった。
排泄介助では他人の汚物を見ないといけないし匂いだってきつかった。
ときには、手につくことだってあった。
入浴介助では体の隅々まで洗わないといけないのだが、そこの施設では毎日入れるわけではなく、利用者にあらかじめ何曜日が入浴であることを知らされている。
といっても、1週間の間で2回の入浴日があり、何らかの理由で体が汚れた場合はその限りでもなく、入浴している利用者もいた。
そんな入浴介助で苦手だったのが、足の裏や麻痺などで動かせない手や腕を洗う介助が嫌だった。いくら手袋をしていても抵抗があった、動かすことのない手・腕は発酵しているかのように匂いがきつく、夏場は想像よりも過酷であった。
それらに比べて食事介助はあまり苦ではなかった。
でも、得意でもなかった。
食べながらしゃべる人もいれば、気に召さないと吐き捨てる人も、食べてる途中でどこか行こうとする人
みんながみんな、行儀がいいわけではない。
そして個人的には危険な介助の一つだと感じていた。
自分がすくったスプーンの食事が利用者の喉に詰まったら窒息してしまうかもしれない。
飲み物が器官に入ってむせて誤嚥性肺炎を誘発させてしまうかもしれない。
健常者の食事ではそんな危険性は高くはないと思う。
でも、不運にも事故は起きてしまい亡くなってしまう方はいる。
それが障害者や高齢者だった場合…
考えるだけでも怖い
なので、食事介助では常に観察を欠かしていけないと先輩に言われた。
苦手なことや危険なことばかりではあるが、嫌いではなかった。
むしろ仕事に行くことが何よりの楽しみでもあった。
今日はあの人どうしてるのか、今日はお通じでたかな、お風呂で暴れていないかな、ごはんちゃんと食べられたのかな。
施設にいないときはふと考えてしまう時もある。
それぐらい、人が好きだ。
施設で働くというのはその利用者の味方、もしくは家族にはなれないが、一番距離の近い親友になることだと僕は思う。
この考え方には賛否両論だろうが、あくまでも僕の個人的な考え方である。
今の世の中にたくさんの医療従事者や介護士・生活支援員がいる。
それでも現場には人が足りない。
そんな中、僕は現場を離れないといけない。
少しでも、得た知識をほかの人にも共由したい。
これまでの二年間で感じたものを記録するために綴ろうと思った。
この記事はその経験の中の①である。