支援員だった頃②
駆け出しの頃は利用者に言われたら何でもやった。
あれを取ってほしい、CDをかけてほしい、トイレに行きたい、ベッドに戻りたい、塗り絵をしたい、お茶が飲みたい。
様々な要望に対応した。
何も考えずにただただ言われたことを着実にこなした。
でも、怒られた。
できることはやってもらう、できないことに介入をする。
なぜなら、今やっている事は、その人のできることを奪ってしまう行為なのだと。
厳しい言い方で、”虐待”という。
改めて思った。確かにそうだと。
それ以降は、利用者が大変だと感じることに手を貸した。
できるようになるように手を貸した。
利用者以外にも先輩のいいなりにもなった。
何が正解で、不正解なのかわからずに慣れるまではやっていた。
ただ、僕は聖徳太子でも千手観音でもない。
一度に同時に言われてもわからないし。
あれもこれもと頼むのもかまわないが今やっていることがあるのに今すぐにとかは難しい。
断れば嫌な顔をする、場合によっては仲間外れにされる。
利用者より同じ支援員のほうがめんどくさい。
ましてや、頼むその人は、なにかやっているかというと、
一生懸命に携帯電話をいじったり、雑談してたり仕事をしているのか不明だった。
でも、もしかしたら僕ができない仕事を知らないところでやっているのかもしれないから何も言えない。
そう信じるしかなかった。
俺の仕事のモチベーションはそんな人のためにあるわけでもなく、
利用者のためにあるから。
その施設では約50人ほどの利用者がいる。
その全員の顔と名前、なんの障害があるか、
必要な介助はなにかを教えてもらった。
最初は、すごく不安や恐怖があった。
自分の介助したらケガさせてしまったり、場合によっては取り返しのつかないことになったり。
でもそんな不安は初日に消えた。
利用者は優しい人が多かった。失敗をしても笑って許してくれた。
中には、人見知りで冷たくされることもあったが、
時間が解決し、優しくしてくれた。
これだけで仕事が楽しく感じた。
今までの職場でとある社長が言っていた。
仕事は”明るく・楽しく・元気よく”と
明るくないと楽しくできない楽しくないと元気にならない。
それは相手の目にどのように映るか。
納得した。すごく納得した。
だから、その言葉だけはどこの職場に行っても忘れたことはない。
これはモットーなのである。
明るく、楽しく。これらを守っていれば元気は勝手に来ると思う。
いいことはみんなに伝染してほしい。
一人が元気であれば元気が伝染してみんな元気になるような気がする。
これは僕のエゴなのかもしれない。それでもいい。
ほかの支援員は何を思って利用者と接しているのか、だたやっているだけでは意味がないと思う。
利用者・支援員の変わらない毎日に抑揚をつけることで、その日を楽しんでほしい。
今日も楽しかった。そう感じてほしい。
支援をする側もされる側も。
支援員がつらい職だと感じないように
人を支えることが苦痛と感じないように。
今日はここまで。
また見てください。