支援員だった頃③
支援員は戦う。
利用者ともほかの支援員とも。
それは誰かのために戦う。
なんでもYESと答えているとそのうちこの人は何を言ってもやってくれる人になってしまう。
だから、適度に断ることもある。
自分とも戦う。本当はやりたい。でも…
できるけど、断らないと周りに迷惑がられる時もある。
僕はそんな環境の中で育ててもらった。
そんな施設では目標とする人はいない。
いたのは痛みを共感してくれる仲間が数人。
なにかあれば愚痴を言ったり相談したり。
一人で抱え込むことのないように仕事はした。
この業界では、抱えて負債が増えればゲームオーバーだと思っているから。
実際にゲームオーバーになった人を数人みた。
それは施設の支援員などではなく、介護や医療という世界を知らない人が軽はずみな気持ちできたものの蓋を開けてみたら、思っていた世界とは違った。
と言いやがる。そんな世界でも汗水流して頑張っている人もいるのにそんな無責任なことをいうやつがいる。
住みづらい世界なら慣れるしかないし、できるなら環境を変えてみてほしい。
少しでも楽しく仕事をできるように。
自分・環境が楽しくないと、利用者はもっとつまらないと感じる。
施設でつまらないというものは今後の生涯を施設で過ごす彼らにとってはすごくつらいものだと思う。
なので少しでも楽しく過ごしてほしい。
できることなら求めることにすべて答えてあげたい。
それらができないのが今で、実際の現場なのである。
初めての施設で初めて人が死んだ。
前日まで決まった時間に起床して、決まった時間にご飯を食べて、決まった時間にリハビリをして、決まった時間に寝る。そんな人と前日まで楽しくおしゃべりもした、リハビリもした。
そんな人が、12時間後の出勤時には死んだ。
その時にすごく後悔をした。
もっと何かできたのではないか。
もっとお話しができたのではないか。
もっと親身になれたのではないのか。
たくさん後悔をした。ほかの利用者も支援員も悔やんだことであろう。
翌日にはそこの部屋には本人が好きだった飲み物、写真、焼香台、たくさんの花があった。
すでに何人かの訪問があったようでたくさんの線香と利用者が書いた手紙などがあった。
人が亡くなるのは家のテレビがが壊れるのとはワケが違う。
テレビは買い替えがきくけど、人は終わり。
テレビはしゃべるけど、聞いてはくれない。
人とは違う。
明日もおはようって言えないのは本当にさみしい。
だからこれからは後悔が残らないように”おはよう”と”ありがとう”は伝える。
心と写真に誓った。
おはよう。
ありがとう。
写真の顔は穏やかに見えた。
さて、今日も頑張ろう。