ガマの日記

”明るく・楽しく” 何かできる自分をみつけて

支援員だった頃④

支援員でいて楽しかった思い出は。

各種、さまざまなイベントを一緒に共感できることである。

コロナ化で利用者様は家族との面会ができない中で

利用者と支援員とで協力して安全な毎日を送っている。

 

支援施設には半年間だけ派遣で行った。

 

お誕生日会、ミニ運動会、映画鑑賞会、おいも祭り、クリスマス会、正月、等々

 

半年でこんなにもやった。

 

普通の生活ではできないけど、この施設、支援員であればできるのだ。

 

どのイベントにも参加させてもらったがとても楽しいし、安全に配慮されていて。

実行する直前まで、みんなで作戦会議やデモンストレーションを繰り返している。

本当にすごい。

 

ミニ運動会での出来事にこんな思い出があった。

徒競走的な種目の時に

とある声の大きい利用者が言った。

”私は歩けないし、違うことがやりたい。”

担当支援員は考えることなく、答えた。

”一緒にゴールでみんな応援して待ちましょう!”

その利用者は泣いていた。

 

確かに走れない人もいるし、目の不自由の人も。

たくさんハンデのある中で、できることを一緒にやる。

それこそが支援員であると改めて実感をした。

 

その後、その利用者は大きい声で元気に楽しそうに応援していた。

 

出来ないからこそ、ほかの出来ることに全力になれるなんて素敵だった。

 

その人は今も元気にしているかたまにふと思うことがある。